川端康成ー雪国
第136冊目は、日本文学不朽の名作、川端康成の「雪国」を紹介します。
雪国 (新潮文庫 (か-1-1))
大人になってから読んだ方がいいと思う作品です。でないと、なぜこれが名作なのかさっぱりわからないでしょう。
主要なストーリーはあってないようなもの、です。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という大変有名な書き出しを楽しむように、景色や人となりを表すための小道具や、雪と紅葉という取り合わせを楽しむといいでしょう。
以下、盛大にネタバレします。
雪国には駒子と葉子という対照的な二人の女性が登場します。主人公(いわば語り部)の島村と関係があるのは駒子です。その流れからいくと、葉子はサブなのですが、蛾をつかんで泣きじゃくったり、島村と一緒に東京へ行くと言ったり、登場シーンにインパクトがあります。
駒子は、はりつめています。そのはりつめた生き方は三味線の音に現れます。駒子は日記をずっとつけているような女です。島村との関係もはっきりしていないので、悩んでいます。駒子は透明で純粋な風に描かれています。「蚕のように駒子も透明な体でここに住んでいるかと思われた。」
駒子が蚕なら葉子は蛾ということなのかもしれません。駒子と葉子の接点は最後の火事のシーンになるわけですが、どうしようもない島村と駒子の関係もこれで一区切りつくのかを暗示させて終わります。
で、物語の楽しみ方ですが、私は会話が好きです。おしばいにしたらさぞ映えるだろうなと思います。
駒子に島村が会うシーンで話すところ。
「君はあの時、ああ言ってたけれども、あれはやっぱり嘘だよ。そうでなければ、誰が年の暮にこんな寒いところへ来るものか。後でも笑やしなかったよ。」
駒子と島村のこころここにあらずな会話、に見せかけて、ふっと切り結ぶような会話。
「ねえ、あんた素直な人ね。なにか悲しいんでしょう。」
「木の上で子供が見てるよ。」
「分からないわ、東京の人は複雑で。あたりが騒々しいから、気が散るのね。」
「なにもかも散っちゃってるよ。」
「今に命まで散らすわよ。墓を見に行きましょうか。」
「そうだね。」
ぜひぜひどうぞ。