3回以上読んだ文庫本を紹介

3回以上読んで本棚に残した(売らなかった)上に、自炊して電子書籍化し、さらにもう1度電子データで読んだ文庫本を紹介します。

内田樹ー疲れすぎて眠れぬ夜のために

第95冊目は、内田樹のエッセイ「疲れすぎて眠れぬ夜のために」を紹介します。こんな深夜には、この本を紹介するのもいいだろうと思ってタイトルで選びました。

たくさん出た本なのに、珍しくもアマゾンで中古本が1円になっていませんね。閑話休題

さて、このエッセイ、タイトルからしてなんとも心憎い演出ですね。私は内田樹さんの本だということと、このタイトルにひかれて(散々迷った末に)買ったのだと記憶しています。

改めて読み返すと終盤にある「資本主義VS人類学」がいいですね。
人類学的に考えれば、生き残る確率が高まるには多様性を保っている方がいいのです。つまり、1人1人の差異が広がる方向になった方が生存には有利ということだそうです。
ところが、資本主義はそういう方向にならないと筆者は説きます。資本主義の本質は、大量生産・流通・消費をめざすことだからです。隣の人が欲しがったものを誰もが欲しがる社会、つまり、個人の差異は消える方向に進化を推し進める圧力があるのです。
資本主義で一番都合がいいのは、みんながどんどんものを買ってくれることです。みんなが人と同じものを欲しがるけれど、その対象が絶えず変化するのが一番都合のよい状態になります。

けれども、ここまで読んで、ちょっと待ったと思いませんか?
現代は差異化が進行する方向に進化しているのでは?個人の趣味って多種多様になったし、生活の糧を得る方法も様々になったし、何よりもうお茶の間にみんな集まって1つのTV番組を見るってことがないですよね。
資本主義は差異を小さくして、その差異が実際には大きいように感じさせている、ということらしいです。隣人とほとんど同じだけれど、ほんの少しだけ欲しているものが違う、というしかたで差別化をして、それによるアイデンティティの確保を助けているのだとか。

結果として、微細な差異に注意を向けさせて、日本人は日本人というある小さなニッチ空間に消費者全員を閉じ込めるというのが資本主義のベスト戦術らしいのです。なんだか狐につままれたような感じですね。

「人間は自由に生きる方がいいけれど、同時に人間をあまり自由にさせない方がいい。うっかり自由にしてしまうと、人間のあり方が全部同じになってしまうから」
筆者の主張をぐるぐる考えて、夜は更けていきます。